事業承継の専門家として悩める経営者、後継者に具体的な改善計画を指導
経営塾の指導員として100社以上の経営改善に携わった経験を生かし、事業承継の専門家として活動する「サンク・ラスタ」(岡山県倉敷市中島)の代表取締役三谷原恒良さん。企業の3代目として事業を受け継ぎ、傾きかけた家業の再生を手掛けた経験から、同じ悩みを持つ経営者に寄り添ってきました。経営者にとっての「駆け込み寺的存在」として、オンラインで日本全国にクライアントを抱えています。
手法としては、まず現状を把握するため、依頼のあった企業経営者や事業主からオンラインで現状をヒアリング。綿密なコーチングによって、抱えている企業内のさまざまな問題や課題を引き出します。また依頼者とともに経営再生計画を立て、個々の実情に沿ったプログラムを作成して経営改善のアドバイスを行います。また、金融機関の融資を受ける際に必要な事業計画書やプレゼンテーションの仕方も指導しています。
「人生の選択肢が広がった現代では、家族間の承継がより難しくなっています。私自身も、受け継ぐ立場として、困難を乗り越えてきました」と話す三谷原さん。経営者の平均年齢が年々上昇し、70代80代の経営者が多くいる背景には事業継承の難しさがあります。また、たとえ承継したとしても、従業員や元の経営陣との対立が表面化して、業績に悪影響を及ぼすこともあるのだといいます。「数字や知識だけでは割り切れない経営の問題をクリアにして、同じ悩みを持つ経営者とともに円滑な事業承継のお手伝いができればと考えています」と笑顔で語ってくれました。
折り畳める畳「TATAMIZE®︎」の開発で、逆転のビジネスプランを実現
岡山県倉敷市で祖父が創業した畳・畳材メーカーの3代目として生まれたものの、家業を継ぐ意思はなく東京の拓殖大学に進学。その後、アイルランドに留学し、音楽や英語を学んでいた三谷原さん。ところがその後に家業が経営難に陥っていたそうです。帰国後、迷った末に事業を継ぐことを決意。2006年、26歳の時に代表取締役に就任し、「サンク・ラスタ株式会社」を設立しました。
「新たに会社を立ち上げ、事業を受け継いでから5年ぐらいは父と意見が合わず対立するばかり。加えて、畳業界には昔からの商慣習や流通があり、数年間は活路が見いだせませんでした。既存のルートが難しいなら『新しい製品を 新しい市場に』販売してはどうかと考えたのです」。そこで新製品の開発に着手。2年後の2018年に完成したのが、折りたたみ式の畳「TATAMIZE(タタミゼ)」でした。
折り畳めてどこにでも持ち運べる樹脂製の畳は、海外限定で販売したことが国内でも話題を集め、ヨーロッパのかるた大会で公式採用されるなど海外での高評価が実績になり、結果的に既存顧客からの既存商品の受注にもつながる「逆転のビジネスプラン」が成功したのです。「10年前にはどん底を経験しましたが、『ものづくりを通じて日本文化を海外に伝えたい』という思いで開発した『TATAMIZE』が国内外で評価してもらえたのは嬉しかったですね」。自社の取り組みがメディアに紹介されたことで、経営者から相談が多数寄せられ、現在の事業展開にもつながったと三谷原さんは感慨深げに話します。
企業の価値を高め、次世代に想いをつなぐ
「家族経営の企業であれば、経営者の家族関係も承継問題に大きく関わってきます。決算書の数字だけでは測れない実体験に基づいたアドバイスができるのも当社の強みです」と三谷原さん。これまでのノウハウを体系化したセミナー形式の経営塾も開催し、自社の取り組みをビジネスモデルとして提案したいと、2020年11月には「中国地域ニュービジネスコンテスト」に応募。ビジネスプランとしての確立を目指しています。
「事業承継の専門家」としてのみならず、「認定NPO法人日本ミャンマー豊友会」と連携し、海外支援の「あなたの笑顔が世界を変えるJustSMILE学校プロジェクト」にも取り組む三谷原さん。山陽新聞社や中国銀行が運営する地域密着型クラウドファンディングで集まった支援金で、ミャンマー東部のシャン州に、幼児向け学校(プリスクール)を建設中です。このプロジェクトがきっかけで、同プロジェクトに賛同する金光学園高校(浅口市)から「探究授業」の講師に招かれ、「学校では教えてくれない大切なこと」を経営者、コンサルタント、教育者の目線から授業を行うなど活動の幅を広げています。
「経営者の高齢化が進み、後継者不在や廃業、倒産の心配がある、あるいは、後継者がいても承継問題がうまくいかないといった経営者の方は、ぜひ一度ご相談ください。
サービスページ:https://thanklasta.jp/shoukei/
サンク・ラスタ(株)
代表取締役
三谷原恒良
岡山県倉敷市出身、1979年生まれ。
アイルランドの首都ダブリン Sound Trading Centre レコーディングエンジニア課に在学時代、海外から見た日本の魅力に気付く。24歳で帰国後に家業の畳表製造業を継ぐ直前にミャンマーへ一人旅に出かける。そこで出会った子供たちの笑顔、過酷な環境を目の当たりにし、何もできない自分への情けなさといつか役に立ちたいと思いながら16年。
ようやく自分なりの答えが見つかる。
帰国後に祖父が仕事を立ち上げた畳表製造メーカーの3代目として
家業の畳表製造業を継いだ後、26歳で新たに起業。令和2年度 倉敷商工会議所青年部 副会長。
(平成18年6月、社長就任に合わせて新会社を設立)